2011年07月18日

週刊オーディンスポーツZ:Vol.106

■社説

週刊オーディンスポーツZは、国、地域、大学、オーディン…
一人ひとり、個人個人はバラバラな存在ですが、そこに同じ夢、同じ愛、同じ怒り、同じ正義を見出して共に戦っていこうよ。そういうブログです。

国を考えるときについつい私たちは自分の世代のことを中心として語ってしまいがちですが、それでは正しく捉えたことにはなりません。
なぜなら自分が生まれる前からこの国は存在していたからです。

日本が近代的な国家として世界にも国内にも認められるような存在になったのは明治維新からでしょうか。それ以前は、各藩が「おくに」と呼ばれていました。

でもそれは、自分達から進んで国家を作ろうとしたのではなく、当時の世界情勢が白人の帝国主義の時代で、亜細亜諸国はどんどん侵略され植民地にされてしまっていたからです。日本は江戸時代の平和を満喫していました。
日本はペリーに軍艦によって恫喝され、不平等条約を結ばされてしまっていましたから棺桶に片足を突っ込んだも同様です。

オーディンを例にすると、チームの決まりだとか方針を他チームに決めさせられてしまっているようなものです。
「え!?そんなアホな。そんなチームがあるんかい」と笑っている人は甘いです。
そういうチーム、自分達で自分達の試合もできないチームもあります。

日本はそういう瀕死の状態から何とかその不平等条約を撤廃して欧米列強からの植民地支配を跳ね飛ばす必要があった訳です。
幸いにも、日本人の努力、勤勉さで日清、日露の2つの戦いに勝利し、国というチームの独立を保つことができました。

しかし、残念なことに先のアメリカとの戦いで負けてしまって、占領されてマスコミ出版物は検閲を受ける(つまりこのオースポZやチームブログを他チームが先に読んで修正を加えてから公開するようなもの)ことになり、憲法も変えさせられ(チームフィロソフィーや目標を他チームが決めるようなもの)ました。

そしてその憲法は、今でも掲げられてしまっています。

先の大東亜戦争はイタリア・ドイツ・日本という民族主義を掲げる国と、アメリカ、イギリス、オランダといった多民族国家の国との思想的な戦いだった。そういう見方もできます。それにソ連を中心とした共産主義の正義もあります。

〇キリスト教、自由、民主主義という正義
〇共産主義という正義
〇天皇・民族主義という正義

これらがぶつかった訳です。

オーディンにも正義があります。大学を守る、地域の子供達を守る、「自立」「挑戦」「貢献」という正義です。

民族主義の正義というのはつまり、
親子・兄弟は血が繋がっているから仲間だ、親族は血が繋がっているから仲間だ、先祖を辿れば民族は血が繋がっているから仲間だ。
そういう考えで国がまとまる訳です。
親子は似ているよね、夫婦は仲良くして子供が生まれたんだよね。鼻はお父さん似?口はお母さん似?
そういえば夫婦も似てるよね?日本人はみんなどことなく似てるよね?だから仲間だよね。そんな感じでしょうか。

他民族国家はそういうまとめ方はできませんから、民主主義・自由・人権を愛する人間、キリスト教を愛する人間、というように、何か人工的なシンボルやイデオロギーを掲げてまとまる訳ですね。

そして先のアメリカとの戦いで負けてしまった。
負けてしまったので、民族主義に文句を付けられた。その代わり「個人の自由」という人工的なイデオロギーを押し付けられようとしている。それが今の戦後という訳です。

でも、敗戦当初は、外国人に対して勇敢に戦う力道山に熱狂したり、軍隊を手放す代わりに経済成長というのを国の成長と置き換えて経済の舞台で必死に戦いました。
「所得倍増計画」「護送船団方式」「昇給が約束された終身雇用」「東京オリンピック」「大阪万博」…
自分が働くことで日本全体が豊かになっていく連帯感。
自分の成長の物語を日本全体の発展の物語を同一視するように生きてきました。

一方で豊かさの追求と共に、その個人の豊かさを自分個人だけで享受しようとする「個人主義」の思想が蔓延ってきます。
戦後教育でアメリカと日教組によって教えさせられてきた「個性尊重」の教育がじわじわと効いてきました。

男女平等、職業選択の自由。家族ではなく社会全体で高齢者を世話する介護保険制度。
家族の連帯、男女の役割分担がどんどん法律によっても破壊されます。

「従前の価値観に縛られない、自由に選択できる負荷なき自己」

これが理想であると摩り替えられていきます。

「国全体の大きな物語」よりも、アメリカのようなマイホーム、マイカー、テレビ、エアコンのある自由で物に不自由しない生活。
「個人の小さな物語」を持たされるようになります。

これが1970年代くらいでしょうか。

ところが、バブル崩壊、終身雇用の崩壊とともに、そういう個人の小さな物語を作ることに違和感を覚えるようになってきました。
正確に言えば、個人の小さな物語を作れる人間と作れない人間に分かれてしまった。こう言っても良いかもしれません。

今の若者は、本当に自分だけの小さな物語を欲しているのでしょうか?
自分らしく生きる、個性尊重、自己実現、夢を叶える…

そういうものだけを本当に求めているのでしょうか。
私たちは、それは違うと考えます。

等身大の自分の延長線上・相似形にある、共同体。
その共同体との連帯感。
そしてスーパーマンではないかもしれないけど、自分ができる範囲で自分の可能性を信じて高めあう。
でっかい理想、人に自慢できるような理想ではないかもしれないけど、みんなで頑張れば届きそうな、届かないかもしれないけどみんなで頑張ってみようと思えるような。
そういう目標を掲げて頑張る共同体。それを求めているのではないでしょうか。

そしてその共同体が、自分達だけの閉じた世界ではなく、家族や友達や地域。そういう仲間と繋がっている。
「自由」とか「民主主義」とかそういう政治的なイデオロギーの匂いのするものではなく、もっと家族のような素朴な一体感のあるつながりを求めていると思います。

******************

先のハッスル8を終えて、OB会長の飯田さんに会いに啓樹、平田、祥平と銚子まで行きました。
なんとも言えない連帯感。魚が非常に旨い。けれど負けた分際で旨いとも言ってられない悲しさもある。悲しいくらい旨い刺身をみんなで食べました。
個人が旨いと思っても旨いと言ってよい訳ではないのです。

先週の田中のコラムは非常に印象的でした。
田中は一年生の頃は非常に大人しく、臆病でいつも泣きそうな顔をしていました。
しかし、臆病というのは一方で世界の大きさを良く見えているからこそ臆病になるとも言えます。
自分が一番と考えて、世界の大きさが見えていない、認めることができない個人主義者は、自分の周りに対してバカにした態度を取りがちです。
自分の周りの世界をバカにすることで、相対的に自分個人の価値を上げようと考える訳です。
今の政治もそうです。自分の国の政府、総理大臣をバカにすることで自分の価値を守ろうとしているかのようです。
自分達で選んだ政府、自分達のリーダーであるにも関わらずです。

しかし、自分の周りをバカにするような人間は、その場では気分が良いかも知れませんが、結果的に自分に跳ね返ってきます。

自分の周りをバカにすることで、結局何が正しいか分からなくなってしまうからです。
今の日本は、若い時分に国全体の物語を否定して、自分個人の小さな物語を紡ごうとして失敗した50代〜60代が非常に多いです。

熟年の域に達していたにも関わらず、自分の生き方に自信が持てない。
そういう日本人が非常に多いです。

私たちオーディンは、そういう人間にならないように頑張りたいと思います。
胸を張った大人になりたいものです。
田中にはそうした周りをバカにしたような態度は全くと言ってよいほど感じられません。謙虚で、正直、真っ直ぐです。
主将村越を始め、スタッフ4年生の山口、石田の素晴らしい指導もあったことでしょう。

コラムもまず全体のオーディンの仕組みを書く。
良いところ悪いところを書き、その悪いところに対して、自分の責任も感じている。
そしてその責任を説明するために、自分自身のことを語っています。

チーム全体を自分個人の上に置く考え方。それを「全体主義」と言います。
そして、チーム全体を個人の上に置く根拠は、そもそも自分が入団する以前からチームは存在していたということです。
先輩を立てるという根拠もそこにあります。

オーディンは「全体主義」のチームです。
しかし全体主義というのは、一部の指導的役割の人間が個人の価値を蹂躙してしまうような、台無しにしてしまうような危険に陥りやすい思想でもあります。

だからリーダーは、チームを独占しないように、独善的にならないように常に謙虚である必要があります。
それが公心で、公心がなく私心でチームを支配しようとすれば結果としてそのリーダーの私心がメンバーに乗り移り、リーダー自身がメンバーの私心をコントロールできなくなりチームは崩壊します。
もしくはその私心がリーダー自身に向けられるでしょう。

先の大戦でアメリカを中心とした戦勝国は、日本やドイツのことを「全体主義の国であり、全体主義は悪い思想だ」とレッテルを貼りました。
その結果、家族、教室、会社、国…全体でまとまるために個人の考え方に遠慮してもらうことは良くないことなのではないかと過剰に恐れる風潮が蔓延りました。

結果、家族を束ねられない父親、教室を束ねられない教師、そういう苦労をするリーダーが増えてしまいました。
リーダーである総理大臣の支持率は2割を切り、赤字国債は500兆円を超え、既に日本経済は崩壊寸前です。
もし、
「あれ?国債って紙切れになる可能性もあるんじゃないの?じゃあ安い利息期待するよりは、今のうちに売った方がいいんじゃない?」
という噂がパーっと広まったとき、日本経済は崩壊します。

先のオイルショックのトイレットペーパー買い溜め、今回の地震のペットボトル買い溜めも最初はそんな噂から始まったものです。
今すぐにでも起きてもおかしくないと思います。
そんな危うい時代です。

だからこそ私たちオーディンはこの時代を逞しく幸せに生きるために、強く賢くならなければなりません。

全体主義にも良い全体主義と悪い全体主義があります。
個人を制度や刑罰で縛るのが悪い全体主義。
目的、美徳、共通善でまとまるのが良い全体主義です。

オーディンの目的というのは「3部2勝」
美徳は「自立、挑戦、貢献」
ということです。

美しいチーム「オーディン」。
美しいブログ「週刊オーディンスポーツZ」。
これからも宜しくお願い致します。

<文責:福田勝之>

※ご意見ご感想はこちら
odin_jimukyoku@yahoo.co.jp


■筋トレ期間、オースポZ特別コラム
〜今週は、ラインを牽引するボスに成長した大塚康史です。一年生の頃は軽い感じでしたが今年の前期、特に精神面での成長が著しかったです〜

こんにちは。3年OL/DLの#78大塚康史です。

今回は『過去の自分と今の自分』について書いていきます。
------------
2009年11月22日。
リーグ戦最終節。
文教大学対新潟大学。

試合を終え自分に残ったものは
『無力感』
だった。

トイ面に圧倒され、再三押し込まれ途中交代した。
何も出来なかった…。
-------------
しかし、
そこから学んだことこそ今の自分の原動力になっているものといっていいだろう。

『人』は挫折や失敗を繰り返し成長していく。つまり挫折した時点から前へ踏み出す一歩があって人は成長するということである。

自分の場合はその試合で1年生ではあったものの、『自分でどうにかするしかない』という前へ進むための一歩をここで踏んだんだと思う。

『努力したものだけが、偶然という名の成功を手にすることができる』

これは、自分の座右の銘である。成功というのは、数多くの人の元に降りてくるものではない。努力したものでさえも手に入らないかもしれないその成功を掴みとるために、日々努力していくという意味。

『偶然といえる成功』
手に入れるため、自分は肉体的にも精神的にも成長する必要があると悟ったのだった。

あれから約2年が経ち、自分にとって3度目のリーグ戦がやってくる。

2年前味わった、あの『無力感』から2年。自分にとって決定的に違うものがある。
それは、『上級生として、今度自分がチームを、ラインパートを引っ張っていかなくてはいけない』という気持ちである。
2年前は、1年生だった自分を4年生や3年生の先輩方が中心にラインパートを引っ張ってくれていた。
今は先輩となり今度は自分がその役割を果たす番。

リーグ戦まで残りわずか。
掴まなくてはならない、目の前の勝利のために強いパートを作っていきたい。


■徒然後記

なでしこジャパンがワールドカップを優勝した。ばんざーいである。
日本の女子の強さを証明した。アメリカも強いそうだ。今回初めて知った。
彼女達は輝いていた。
女子サッカーは差別と偏見の目で見られていた時代もある。やっと日の目をみた。

でも僕は女子サッカーが嫌いである。
あ、また敵を作ってしまった。でも女の子が足でものを蹴ったりするのは見ていて下品じゃない?
自分で蹴りたい気持ちは分かる。
でも下品なこと、危ないことは男に任せろなのだ。
だってそれじゃあ男の仕事がなくなっちゃうもん。

自分で蹴る女性も強いかもしれないけど、自分で蹴りたくても我慢して選手に蹴らせるように頑張る女性も強いんじゃない?
オーディンのスタッフの方がなでしこジャパンだ!

<文学部日本語日本文学科卒業生:福田勝之>

さーて、来週のオースポZは?

〇来週も全体練習が試験期間に入るので何かオフ企画をやります。
以上を中心にお届けします。

「明日に向かってファーストダウン!」
オーディンは、未来を創るフットボールチームです。
来週もオースポZでお会いしましょう!
posted by 週刊オーディンスポーツF編集長 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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